パンク精神 意味

パンク精神 意味

 …, この「カタルシス」について解説します。 「カタルシス」とは「物語などを見て、感情がスッキリすること」です。

きな臭い(きなくさい)とは。意味や解説、類語。[形][文]きなくさ・し[ク]1 紙や布などのこげるにおいがする。こげくさい。「―・いと思ったら座布団がこげていた」2 《硝煙のにおいがすることから》戦争・動乱などの起こりそうな気配がする。 そういう意味ではパンクという言葉を使う時は、「それは伝統芸能としてのパンクですか?それとも言葉の本来の意味でのパンクですか?」と分けなきゃいけない。 質問者. この日、町田氏の小説を構成するあらゆる要素が言語化された(終始「聴き手」に徹した玄月氏の力は大きい)。, 皆さんもちろん読んでいらっしゃると思いますが、デビュー作の『くっすん大黒』(芥川賞候補作品)は町田さんのエキスがたっぷり入っている。「これぞ町田さん」といった独特の文体。『ホサナ』や『生の肯定』に繋がる感じですよね。, 町田さんの中でも大きな作品だと思うのですが、このように視点を分けながら三人称という文体で書かれているのは、何か今までと違った意識があったのでしょうか?, 『くっすん大黒』は落語の流れですが、いわゆる河内音頭や浪花節といった芸能と文学には隔たりがある。そこが自分の中で納得できない。, 大阪で生まれ育った人なら分かると思いますが、夏になると公園に櫓が立っている風景というのは普通ですよね。河内音頭が流れていて、盆踊りを踊っている。, しかし、近代小説の中ではああいったものがなかったことになっている。ある種の風俗として描かれてはいるのだが、魂というか精神の中までは入ってきていないなぁ、と。, その試み自体はあまり成功していないかもしれない。でも、そういうものに近づきたいという気持ちはずっとあって。「それを書きたい」とか「それを復活させたい」とか、そういった野望ではなくて、精神性のようなところの近くに行きいというのがある。, 小説を書き始める以前、つまりバンドとか始めた頃。16、7才くらいの時からそういうのはありましたね。, 僕も町田さんと同じく大阪で生まれ育ったわけですが、落語や漫才、吉本新喜劇や松竹新喜劇がずっと生活の中にあった。大抵の大阪の子どもはその中で育ってきて、それらのものが提示されると反応することはできますよね。「これは落語の流れやな」とか「新喜劇やな」とか。, ただ、反応することはできても、それを自分の力で現わすということはなかなかできない。, それを演劇として分かってやっているのならいいのですが、どこからが演劇なのか本人も分からないままで。突然ナチュラルに洋風になる。「これって何なんやろ?」ってずっと思っていて。, 「なんかちょっと嫌やな」と思って。「和風で行こう」というわけではないけど、僕はバンド名とかも英語にしたことがない。, それを超える『トリプルヤング』というのを思いついた。いや、「トリプルよりもずっとすごいの」っていうので「ミラクルでいこう」と。その発想自体が大阪というか、洋風じゃないでしょ?, その流れで『くっすん大黒』を書かれたのだと思うのですが、この文体は何処から来ているのでしょうか?今『告白』を朗読されて感じたのは、三人称で一般的な小説という文体にはなっているが、それでもやはり頭の中にはリズムが残っている。, それはね、町田さんの体内リズムっていうのをきちんと表しているからだと思うんですよね。「よう分からんけど何かおもろい」という理由として。, それまで僕はあまり文章を書いたことがなかったんです。歌詞は書いていましたけど、いわゆる散文を書くという習慣はなかった。, 文章を書く時って、みんなちょっと自分が一段上になるんですよ。俯瞰で世の中を見る、みたいな。, 随筆などを書く時もそうで、吉田兼好とか鴨長明のような感じですよね。「俺はちょっと違うで」みたいな。世の中を下にして、「俺はお前らよりちょっと上やで」というような感じ。, それはおもろないんですよ。ある意味、村上春樹的「やれやれ」みたいな感じで。文章を書く時には必ず、「やれやれ」と言っている感じがある。, それで上手な人はいい。突き抜けて上手な人はいいのですが、普通の人がそれを真似すると、ただ根拠なくおもしろくない。あんまり文章を書かない人ほど、文章を書く時に格好をつけてしまうんですよ。, 急に「~なものだ」とか。「普段お前そんなんちゃうやんけ!」みたいな。映画の紹介文を書く時なんか「この作品は~で、非常に~である」みたいな感じで評論しようとする。, 「俺はちょっと離れたところから言ってます」みたいな。「俺、吉田(兼好)やで」みたいな。, ロックって洋楽のコピーからはじまったじゃないですか。The Rolling StonesにしろBeatlesにしろ。洋風が本物で、日本ではロックというとそれらのコピーという意識が強いんですね。, これは近代文学も同じで、「西洋のノベルみたいなことを俺らもやらなあかんのちゃうか?」と。だから普通のメンタリティでないようなことをやろうとしている。これはもうずっと日本人が平安時代からやってきたことなんですね。, 今の人たちが西洋文化に憧れているのと同じように、宮廷の文化というものは大陸文化に憧れていた。今でいう「え?君、フランス語知らんの?」みたいな日本語を馬鹿にしたおフランスな人の感覚。「日本語忘れてもうたわぁ~、俺いつも漢文しかやってへんから」みたいな。「お前が喋ってるそれが日本語や!」みたいな。, みんながやっているような行動を見て「それちゃうやん」っていうところから、「俺は絶対にやりたくない」って考えているんじゃないかと。, 僕ね、町田さんの本はデビューされた時から読んでいて。今回はトークショーということもあり最新の作品を三冊ほど続けて読ませてもらったのですが、特にこの『スピンクの笑顔』を読んで考えが固まった。, 周りをいつも見ている感じがする。多分子どもの頃からずっとそうだったと思うんです。仲間や同級生と遊んでいても常に周りの人間のことを観察して。で、その観察したことで相手の求めることにおもねるのではなく、真逆のことをしたりだとか、あるいは無茶苦茶にぶち壊したりだとか。, 犬の考えていることも分からなければ、猫の考えていることも分からない。そうすると、他人の考えていることもやっぱり分からない。そこからはじまっていると思うのですが。文学だって何だって、「ある程度みんなが納得のいくもの」を求めているわけですよね。腑に落ちるという。, 私は町田氏が「上方文化が好き」というよりも、生理的嫌悪を解消するためのチョイスの一つとして「上方」を選んでいるような気がしてならない。, 江戸時代の元禄文化は庶民の生活・心情・思想などが出版物や劇場を通じて表現されていた。, それは日本で生まれ育った日本人が描く「日本」というよりも、ラフカディオ・ハーン、そう小泉八雲のような外からの目で日本を視る。, 風俗としての現代日本というだけでなく、文学という方法で現代日本人の持つ無意識を顕在化する形で問題提起する。, 特定のバイアスがかかった時、町田氏はその力とは反対方向にエネルギーを注ぐことでバランスをとっているように私は思う。, 町田氏はそれを「逆張り」と言ったが、それは計算的なものではなく、非常に感覚的なものであるような気がしてならない。, おそらく、日本礼賛という風潮が強くなれば、町田氏の好奇心は何のためらいもなく外側へ向かう気がする。, それは「上方」に対して好意を持っているということ以上に、思考停止の状態で無条件に西洋を称賛するムードに苛立ちを覚えているところが大きいのではないか、と, 「上方を描きたい」という心の前に、外の文化を無意識に受け入れ、さらには褒め称す大衆の態度に対する「苛立ち」が先にあって。, その「苛立ち」の解消手段としての「文学」、そして選択肢としての「上方文化」、なのではないだろうか。, 簡単な納得というものがありますよね。原因と結果。それを繋げてあげると誰でも分かる。, 酒を辞めて二年くらい経つのですが、僕もさんざん聞かれました。未だに「何で?」と聞かれる。「知らんがな!」って言いたくなるけど、そんな答えでは誰も納得してくれない。, 「文学は人を納得させるものである」という風潮に苛立つ町田氏の言葉に、私の中でリヒターの言葉がリンクした。, 生きている実感というものは私たちが考えているよりも複雑なもので、そこには明確な「理由」なんていうものはない。, 町田氏の観点から考えれば、「人間の実感」というのは、ただそれだけで「芸術」なのだ。, 機能としての「物語」をある点では肯定し、または利用しながらも、町田氏はそれさえも破壊したい衝動に駆られている。, では「何で書いたの?」と聞く理由というのは、質問者の中に既に理想の答えがあるわけですよ。, つまり、「今の社会はこういうものです。この社会に対して自分は良いにしろ悪いにしろ意見を持っている。それを小説の形で表してみました。いかがですか?」と。それが相手の聞きたい理想の答えなんです。, 犬というのはこういうもので…という風に。そうするとハチ公や『タロとジロ』のような南極の物語のようになる。要するに犬の美談ができる。, 全ての物語は人間のために犬が犠牲になって、「犬ってなんて可健気で哀そうなんだ」という。犬の話でこのパターン以外ないですよね?, 犬が人間をかみ殺して、うまそうに肉を食って腹いっぱいになって…という話は一つもない。所詮、小説家はそんなもんです。それにそんなものを書いても売れないしね。, どうしたって死ぬわけじゃないですか。この問題に「何で?」の答えはないわけです。答えがないのに一応便宜上の答えを宗教や哲学や文学は作ってきたわけですが。それはその場だけの答えであって、聞いて一瞬だけ納得するのだけど、また「何で?」に戻ってしまう。, 『スピンクの笑顔』や『ホサナ』、『生の肯定』もそうだと思うのですが、犬との会話、あるいは他者との会話、それは言葉だけの会話ではなくテレパシーなども含めてね。, そして色々なものを共有することが共通している。そこから敵対する相手と対峙していく、というのが構図的に似ているところがあって。, 町田さんがこのような手法を使い始めたのは、ものが見え過ぎてしまうというところに原因があるのではないかと思ったんですね。, 別の他者と共有しながらでないと、また、共有しながら対峙していくという構図がしっくりきたのではないか、と。, 図に表せるようなものというのは物事が明確になる。でも僕は明確にさせたくないんです。僕らの生きている実感というのは、はっきりくっきりしていないんですよ。, 「なんじゃコイツ、むかつくのぉ」と思っても一度会って話してみたら「結構ええ奴やなぁ」ってなることってありますよね。その逆もありますが。そこに明確な判断の基準ってないじゃないですか?, その方のお父さんって破天荒な人でね。ある人物のことを、「俺、アイツ嫌いやねん」とお父さんが毒を吐いたんです。「何で嫌いなん?」と知人が尋ねると、「あの顔が嫌いやねん」と。, 普通はそうは言えないでしょ?いや、思っていたとしても自分の中で違う理由を作る。「顔が嫌い」という理由には至らない。, 「倫理に反するようなことを言ってはいけない」みたいな。それを補強するための物語をこれ以上作ったってしょうがないんじゃないだろうかと思うんですよね。, 「そんなもんだよ」っていうのが分かった上で、ある種の物語を落とし込むなら良いけど。, そういったよく分からないことを全くなかったことにして理屈でものを立てるのがどうかと。, そういう意味で僕は社会科学というものを全く信用していない。だから文学だと思うんですけどね。, 書きながら自分自身で驚くことってありませんか?今まで全く考えていなかったのに、書いてる中で思いついて驚いたということはありますか?, それはあります。僕は常に生きている実感や感覚を文学化したいと思っていて。今ある文学も良いんですが、それとは違う感覚というのは必ずあって。, 最初のところで急に洋風になったり、急に近代化されるという話がありましたよね。急に漂白されるとか、急に倫理的なことや道徳的なことを言い出すとか。そういう本音と建前の部分って誰しもある。, 分かり易く言えば、「本音」と「建前」の「本音」の部分で書きたいんですよ。で、自分たちの本音ってゴミみたいなものなんです。決して立派なことではない。「立派な建前なんてもうええわ」っていう感じがするんですよね。それは文学において。, 例えば、何かの文学を評価しないといけない立場の時もあるわけですよね。そういう時に立派なことを言って評価してもつまらないんですよ。, ポイントの付与はある種の知識であったり、技術であったり、その人の倫理性やあるいは思想性の高さ。でもその思想性っていうのは、僕から言わせるとほとんどがインチキなんですよ。そういうものじゃないものってあると思うんですよね。, で、僕は大阪というところで生きてきて、そういう本音の痕跡のようなものが残っている気がする。分かり易いというか拾い易いというか、そこに育ったからそういう感覚を持っているのかもしれないですけど。, 町田さんにとって大阪で生まれ育ったというのは非常に大きな要素だと思います。でも町田さんはどこで生まれ育っても同じように出てきていると思うんですよ。, 大阪人がみんな小説を書けるなら、みんなそういう風になれるかというとそれは絶対になれないわけだからだから。, 最近よく、小説家を志望している若い子に「どうしたらいいですか?」って聞かれるんですよ。「知らんがな!」って話なんですけど。「俺のとこに来るな」と。「もっと立派な思想の高い奴おるやろ」と思うんですよね。, 皆口を揃えて「何を読んだら良いですか?」とか「どんな風なことをしたらいいですか?」とか。それって「昨日何で競馬に勝ちました?」って聞いているようなもので、分かるわけないんですよ。, つまり、同じことをやったところで同じようにならない。全部違うのだから。時代も違うし環境も違うのに、そういう意味では全て偶然ですよね。能力ではなくて全ては偶然です。, 町田さんのデビュー作の話に戻りますが『くっすん大黒』を書き上げるのにどれくらいかかりました?, いや、書いている時間だと一年もかかっていない。実際に書いている時間はもっと短いと思うんですけど、途中でやめちゃったり。小説書くって孤独な作業じゃないですか。途中で誰かと相談したり、アドバイスをくれる人がいたりっていうのはないじゃないですか。, 特にデビュー作はね。デビュー作というか、最初に書いた小説というのは「これアカンのちゃうか」っていう気持ちがどうしても出る。そういう感覚は人並みにあった。, でね、小説家志望の子に一個くらいは助言できると思うんですよ。「諦めず粘れ」ということくらいは。, 要するにそれも性格じゃないですか?人によってそれぞれ違う。つまり、途中で「もうええわ」と思う人もいるし、「はじめたことは最後までやらないと気持ち悪い」という人もいる。それって努力とかそういうことじゃなくてその人自身の性質じゃないですか?「曲がってんの嫌やねん」みたいな。, 偶然というのは、自分がそういう人間になったということも含めてね。どういう親の元に生まれたとか、何才で誰に出会ったとか、そういうことも全て含めて。人知を超えていますよね。, 今だから告白しますが。小説書くの大変かもしれないですけど、もっと大変な「普通に働く」ということを僕は一回もやったことないですからね。, エッセイか何かを読んだ時、一時仕事も何もせずにずっと図書館に行って本ばかり読んでいたという時期があったというのを記憶していますが。それは何年くらいですか?, 一つアドバイスがあるとすると、「小説を書きたい」と言っているわりにみんなちょっと本を読んでいなさ過ぎじゃないですか?, 書きたいと思う気持ちの100倍くらい読みたいという気持ちがないとやっぱり書けない。最初から「書こう」と思って読んだって駄目で、「ただ読む」という時期があって初めて書くという事が成り立つ。, プロになっている人の話を聞くと大体そうですね。質は別としてみんな読んでいる。プロになってからでも読むのが苦にならない人が多いですね。, 僕は高校生くらいから本を読み始めましたが、小説を書こうと思ったのが26、7才くらいですね。, ですよね、だから読むだけの時期というのは必ずある。それが無い人はちょっと難しいかもしれないですね。, 読むというのは仕入れみたいなものじゃないですか?どんな商売も仕入れがないとダメでしょ。, そうですね。一冊仕入れて一冊書けるわけじゃないからね。1000冊とか仕入れておいてやっと一冊書けるかどうか。, パンクって何なんだよって話で。今はもうパンクというのはある種、『新古今和歌集』みたいなものですよね。, 要するにパンクの本質ではなくて、「パンク」という景物になっている。歌枕とか歌言葉みたいなもの。, 本来、パンクというのは生き方のことだと思うんですよ。だからパンクファッションしている奴は今やパンクじゃない。, 一般的にはあれらのファッションがパンクと言われていますが、もともとパンクというのはそういうものではなかった。, 要するに「こうしなきゃいけないよ」という既存のルールや伝統的を無視して、自分たちの感覚だけを頼りに、知識や技術といった蓄積を一回忘れて、感覚だけを頼りにやってみたらあんなことになりましたっていうのが70年代の半ば頃のパンクで。, そんなことは当然長続きすることはなく、すぐに消滅して。でもそれらは商業の中で残った。ファッションの人たちが取り上げたり、復活させたり、ショーが格好良かったりするから。Vivienne Westwoodみたいな人もいたし。それが続いているだけで、一つの文化的なアイコンに過ぎない。, そういう意味ではパンクという言葉を使う時は、「それは伝統芸能としてのパンクですか?それとも言葉の本来の意味でのパンクですか?」と分けなきゃいけない。, 悲しくてやりきれないっていうことだと思う。猟奇的な殺人事件とかを見ると「パンクだなぁ」と。もちろん褒め称す意味ではなく。どうしようもなくなってやっちゃったことなんだろう、と。, でも今は本当にノーフューチャーなんです。だからパンクの表れ方っていうのがものすごく悲しい。反逆とか反抗とかしていられなくなったんですよね。, 反逆は誰にするの?国ですか?でもしたって意味ないでしょ?そんなことを言っている奴はいるけどそれは甘えているだけ。, 芸能というのは、時の権力者に媚びないと生きていけないんですよ。だから世阿弥は足利義満に庇護されたんです。つまり時の権力者に媚びたんですよ。, では、今の権力者って誰でしょうか?一般大衆です。モノを売らなければいけないわけだから。芸能人は広告収入で食っているわけですよね。, 本来の意味として権力者に歯向かうならば「大衆のバカ、全員死ね」となる。本当に権力に歯向かおうと思えばね。, だから好感度というものに媚びているに過ぎない。こんなことを言ったら俺はカッコイイとか、こんなことをすると俺はカッコイイとか、急に洋風化する奴と全く変わらない。, 政治家も同じ、大衆に媚びているだけ。結局みんな自分の保身にしかなっていないですよね。, 「こんなこと言ったらパンクだぜ」っていう言説は、単に一般受けを狙っているだけでパンクでも何でもない。, 反骨的な言説を言ったところで、結局ポップカルチャーなんてそれだけのものじゃないですか。そう思っちゃったんじゃないですか?その頃には既に興味を失っていたので僕はよく知りませんが。, Q.人生に希望が持てず、虚しさに捉われている時があります。どうしたら日々を生きやすくなると思われますか?, 捉え方になってくる。人の人生を見ているとすごく楽しそうに見えるけれど、そこで「自分はなんて物悲しいんだろう」と思ったらダメですよね。, 僕らが小説の中で使っている言葉と歌詞の中で使っている言葉というのは同じ日本語でも「言葉の種類」が違う。, 近代以前のいわゆる西鶴とか近松とかああいうものはもっと歌詞のように内側にリズムやメロディを孕んだ言葉で書かれていたんですね。僕はそこに近づきたい。, 中原中也の詩を読んでいても、今の詩よりもやはりリズム、それからメロディが言葉の中にある。だから歌と言葉の中間の領域。僕らが話している散文としての言葉と歌の中間。だからもっと歌詞に近づいていきたいという気持ちはありますね。, 単なる文字を書いているだけで、何かとてつもないものだったり、くだらないものだったり、どうしようもなく悲しかったり。人間の感情の中に生きているだけとは違う、「何か別の精神の状態」が書いていても読んでいても生まれてくる。それが小説の良いところじゃないですかね。, そして、私の次なるテーマは「カッコ善さを構成しているものというのは何なのか?」というところへ行きついた。, 1962年大阪府生まれ。1996年に初小説「くっすん大黒」を発表、翌年ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞。2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『パンク侍、斬られて候』『人間小唄』『ゴランノスポン』『ギケイキ 千年の流転』『ホサナ』『生の肯定』『猫にかまけて』シリーズ、『スピンク日記』シリーズなど多数。, 1965年2月10日生まれ。大阪南船場で文学バー「リズール」を経営。1998年『異境の落とし児』で第5回神戸ナビール文学賞受賞。 1999年『おっぱい』で第121回芥川賞候補。 1999年『舞台役者の孤独』で第8回小谷剛文学賞受賞。 2000年『蔭の棲みか』で第122回芥川賞受賞。, 『くっすん大黒』は落語の流れですが、いわゆる河内音頭や浪花節といった芸能と文学には隔たりがある。, しかし、近代小説の中ではああいったものがなかったことになっている。ある種の風俗として描かれてはいるのだが、, それを演劇として分かってやっているのならいいのですが、どこからが演劇なのか本人も分からないままで。突然ナチュラルに洋風になる。, その流れで『くっすん大黒』を書かれたのだと思うのですが、この文体は何処から来ているのでしょうか?今『告白』を朗読されて感じたのは、三人称で一般的な小説という文体にはなっているが、それでも, それはね、町田さんの体内リズムっていうのをきちんと表しているからだと思うんですよね。, 急に「~なものだ」とか。「普段お前そんなんちゃうやんけ!」みたいな。映画の紹介文を書く時なんか, これは近代文学も同じで、「西洋のノベルみたいなことを俺らもやらなあかんのちゃうか?」と。, 僕ね、町田さんの本はデビューされた時から読んでいて。今回はトークショーということもあり最新の作品を三冊ほど続けて読ませてもらったのですが、特にこの, 犬の考えていることも分からなければ、猫の考えていることも分からない。そうすると、他人の考えていることもやっぱり分からない。, つまり、「今の社会はこういうものです。この社会に対して自分は良いにしろ悪いにしろ意見を持っている。それを小説の形で表してみました。いかがですか?」と。, 犬というのはこういうもので…という風に。そうするとハチ公や『タロとジロ』のような南極の物語のようになる。要するに, それはその場だけの答えであって、聞いて一瞬だけ納得するのだけど、また「何で?」に戻ってしまう。, 図に表せるようなものというのは物事が明確になる。でも僕は明確にさせたくないんです。, 「なんじゃコイツ、むかつくのぉ」と思っても一度会って話してみたら「結構ええ奴やなぁ」ってなることってありますよね。その逆もありますが。, 要するにそれも性格じゃないですか?人によってそれぞれ違う。つまり、途中で「もうええわ」と思う人もいるし、「はじめたことは最後までやらないと気持ち悪い」という人もいる。, それって努力とかそういうことじゃなくてその人自身の性質じゃないですか?「曲がってんの嫌やねん」みたいな。, 「こうしなきゃいけないよ」という既存のルールや伝統的を無視して、自分たちの感覚だけを頼りに、知識や技術といった蓄積を一回忘れて、感覚だけを頼りにやってみたらあんなことになりました, でも今は本当にノーフューチャーなんです。だからパンクの表れ方っていうのがものすごく悲しい。, こんなことを言ったら俺はカッコイイとか、こんなことをすると俺はカッコイイとか、急に洋風化する奴と全く変わらない。, 単なる文字を書いているだけで、何かとてつもないものだったり、くだらないものだったり、どうしようもなく悲しかったり。, 人間の感情の中に生きているだけとは違う、「何か別の精神の状態」が書いていても読んでいても生まれてくる。.

「カタルシス」とは? パンクと聞いた時に、不良性だとか反逆といったものが思い浮かびました。 町田 My head is going to explode!

SEX PISTOLSの有益な情報をお届けいたします。 パンクというロックのカテゴリーのバンドです。 ANARCHY! 英語でも日本語でも「punk(パンク)」と何も状況設定せずにいえば、音楽ジャンルとしてのパンクロックを指して使われることが多いです。それ以外にも「悪ぶっている人」といった名詞での使い方が存在していたり、動詞では「ひよる、びびる」のような使い方もあります。 パンクとは。意味や解説、類語。《くだらないもの、不良などの意》1 「パンクロック」に同じ。2 伝統を無視し、奇妙な服装や行動で体制に反抗する若者。 - goo国語辞書は30万2千件語以上を収録。政治・経済・医学・ITなど、最新用語の追加も定期的に行っています。 パンクはついこないだピストルズやクラッシュが始めたもんじゃないよってこと。 歴史が始まる前からずっとパンク精神はあったんです。 例をあげると、 今ヒトはニ足歩行してるけど、始めたのは誰なんだろう? 人間ってサルから進化してる動物ですよね。 「 パンキッシュ 」とは「 パンク的なもの 」という意味です。 英語の「punk」に「〜的な」という意味の「-ish」がついてつくられた造語になります。 元になっている「パンク」は反骨精神を表現した音楽である「パンクロック」です。 意味・理由. 「ジョニー・ロットン:そもそもパンクっていう小説はこの俺たちが発案し書き始めたものなんだから俺たち以外の誰にも是非を問う資格がない」ロッキングオン 9.1996, (金のためと言い切った再結成の批判に対し)俺達はパンクを発明したんだ。俺たちがルールを作るんだよ。お前らはそれに従う。妬むのはやめろ」ジョニーロットン 再結成時記者会見, 「オレにとってのパンクとは一人の個人であること、そして常識に逆らうことだ」ジョニー・ラモーン ラモーンズ, 「新生児の泣き声これこそがパンクロックに対する僕の定義だ」サース・トンムーア Sonic Youth, 「パンクとは、特定の格好や音楽ではなく、心の枠組み、自由であることよ」パティ・スミス, 「パンクの愛すべきところは、それがとても無垢な形で生まれたってところなの。純粋で飾り気のない人たちが自然な形で集まったところから始まってて、業界とは何の関係もないし普通の業界からも毛嫌いされていたわ」スージ・スー  スージー・アンド・ザ・バンシーズ, 「PUNK Is An Attitude, Not Style」パンクは姿勢だ。スタイルじゃない。ジョー・ストラマー ザ・クラッシュ, 「パンク・スピリットっていうのは、例えば、70年代後半だけに存在していたとよく思われがちなんだけど、そうじゃないんだってことなんだ。パンクっていうのは、今も生きているし、パンク自体が生き物なんだよ。もしも、若いコたちが、いいアイデアを持っていて、すごく勇気があったら、それだけで、パンクの一部になれるんだよ。パンクっていうと、変なモヒカン頭とか、レザー・ジャケットとか、ギターがどうこうって一般的には語られてしまいがちだけど、そういうことじゃないんだよね。アティテュードのことを言ってるんだよ。だから、パンクな医者にもなれるし、パンクな政治家だって、パンクな教師にだってなれるんだ。単純に音楽だけの話じゃないんだドン・レッツ DJ BAD パンクロックムービー監督引用:hmv, 「君たちはビューティフルだが、同時に格好悪くてみっともない。つまり君たちはパンクロックってことだ!」 キャプテン・センシブル ダムド, 「僕らのメッセージとはドゥーイットユアセルフさ。他の意見に従った自分自身には満足するなというのがパンクロックであり、それがジェネレーションXのメッセージだよ」ビリーアイドル ジェネレーションX, 「私はいつも、パンクは生きる姿勢のことだといってきた・・・それは破壊であり、破壊に秘められた創造の可能性だ」マルコム・マクラーレン セックス・ピストルズマネージャー, RO児島氏:「私個人としては「パンク的であること」というのは「自己のインディヴィジュアリティーにあくまでも誇りを持ち、やすやすと社会的圧力なんかに屈伏するな」という一言につきる。つまりそれがどんな状況下においてであろうと、自己の信念を決して妥協させない自立精神だ、と解釈していたんですが。全くの見当外れだと思います?」ジョニー・ロットン:「いやその読みは実に的確だとおもうよ。で、それは結局パンク・ユニホームを着たステロ・タイプのパンクスにもなるな、って意味も含まれているんだ。たとえその人間が自分を純度100%のパンクスだと自負してたとしても、その理念自体に取りつかれ表層的にはパンク・フォロワ―にしかなれないって事で。その他大勢のパンクスの1人になってしまう、って事さ」   ロッキングオン 9.1996再結成時, ジョニー・ロットン:「パンクとは自分自身に忠実であることだ。ファッションじゃない」, ジョニー・ロットン:「俺は今の連中のパンクってのは服装のことだと思うのさ。そしてそのユニフォームに収まるだけで、何もわかっちゃいない。何を着るかなんて関係ないんだよ。パンクってのは、ファシスト政権への反動だぜ。「パンクはこんなの着ない」だの「パンクはこんなの聴かない」だの、くだらねえ!」, ジョニー・ロットン:「若いバンドがピストルズの影響を受けたというのを聞いて、俺はぞっとする。みんな重要なポイントを見落としてるよ。ピストルズに関心のある人間なら、当たり障りのないボロボロのユニフォームなんて着ちゃいけないんだよ。ピストルズの言わんとしたことは、自分自身であれってことだったんだぜ!」, 「パンクは偽善や独占について対抗するものなんだ。資本主義の醜悪な面や宗教などのすべての悪に刃向うものなんだ」ジョンライドン(exジョニー・ロットン)PIL結成時RO2002,8, 「パンクが伝えようとしてきたもの、それはただひとつ。自分らしくあれ!」ジョニー・ロットン, 「私にとってのパンクは音ではない、それは態度なんだよ。 ジム・モリソンだってパンクだし、さらに遠ざかって、エディット・ピアフのような人だって私のパンクだったんだ。    彼らは何をやっているのかのアティテュードがあっただけなんだ。 それは革ジャンとスーリーコードよりも興味をそそるよね」グレン・マトロック ピストルズベーシスト, ジョンライドン:「残念だがな俺たちはその先を言ってなかった。誰だってやれるのは、そのために幾らか努力すればの話だ」ポール・クック: 「それに、ちっとは才能なきゃダメだしな」 1993年kiss this発売時 クロスビートno.57, 「『パンク』はジャーナリストのキャロライーンクイーンが俺たちにつけたレッテルに過ぎない。本来は刑務所内の男娼を指すアメリカ英語なんだぜ。オレはそんなものの『王様』なんて呼ばれたくない」ジョン・ライドン引用:自伝STILL A PUNK.

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